2008.8.24〜8.26 「ナヌムの家」訪問とチェジュ島に「4・3事件」を尋ねる旅−3
 2008.8.26

朝7時50分に、ホテルのロビーで集合し55分に出発。すぐ近くの食堂 郷味食堂へ。店内に入ると、あたり一面の壁に日本人のサイン・メッセージを書いた紙が貼られていた。

郷味食堂
郷味食堂
アマダイの一夜干し とってもふんわりしていた!
とってもふんわりしていた!

ここの食事が美味しかった。焼魚(アマダイの一夜干し)は、あっさりとしていて、程よく効いた塩加減がグッド!そして石焼タマゴというか、蒸しタマゴというか・・・とってもふんわりしていてこれまたグッド!
 周りも、ほとんどが日本人でした。・・・それだけ美味しいお店なのでしょうね。

村の入り口に建っている石碑午前8時35分出発し、まず4・3事件の焦土化作戦で、消えた村へ9時15分に到着。村の入り口に建っている石碑が、村の存在を示している。狭い道を歩いて進んで行くと、ところどころに家が建っていたと思われる箇所があった。

(朝から小雨が降っており、半袖では少し肌寒い天気だった。村人たちの涙雨だろうか?)
                           村の入り口に建っている石碑


所々にあるお墓

ここを午前9時半に出発し、次の目的地「旧日本軍飛行機格納庫跡」に向かう。
 所々に、石で囲まれた盛り土が目に付いたが、これはお墓だそうだ。チェジュ島では今でも土葬が一般的で、一つのお墓に一人が入るそうである。畑の真ん中にこのようなお墓が作られていることが多い。
所々にあるお墓


午前9時55分「旧日本軍飛行機格納庫跡」に到着する。途中車窓から、畑の中に格納庫跡が点在するのを見た。
 バスを降り、畑の中の道を歩き、飛行機格納庫跡へ。
まず、こんな説明文が入り口にあった。

日帝戦績施設統括説明文
日帝戦績施設統括説明文
太平洋戦争末期、日本軍が米軍に押され始め日本は米軍の済州道攻略を予想し済州道を戦略上の重要地域だと認識した。
 1945年2月日本軍は、日本での決戦に備え済州道防御を主力とする決7号作戦を構想。
1945年4月には済州道防備強化のため第58軍司令部を新設し、日本と満州から7万人あまりの大規模兵力を済州道に集結、駐屯させた。
 済州道内には当時日本軍が造成した巨大な軍事施設が多く残っている。
 陸軍・海軍の飛行場、洞窟陣地、砲台、塹壕、高射砲陣地、陸・海軍の訓練場及び監視警戒所、待避所、特攻隊基地、戦闘機格納庫、弾薬庫、爆弾埋立地などが、網羅されている。
 この軍事施設を構築する工事に大勢の済州道民と韓国人が強制動員され血と汗を流した。
 済州道内の日帝戦跡施設は日本が自國を守るため済州道民を人質扱いをし玉砕しようとした証據にもなる。
 (内容は原文そのまま 漢字は一部略字)

飛行機格納庫の近くまで来てみると、思ったよりも大きいのに驚いた! コンクリートで作られており、飛行機がちょうど入るようになっており、その上を土で覆って小山のようにカムフラージュしてある。

格納庫に向かって歩く
格納庫に向かって歩く
格納庫
格納庫
思ったより大きかった!
思ったより大きかった!
 
この格納庫の説明文
  南済州飛行機格納庫
南済州飛行機格納庫は、‘アルトル’一帯の日帝海軍飛行場に配属された航空機の整備、点検のため附帯設備を保有し機体を収容した施設である。
 日帝時代日本軍は、慕瑟浦‘アルトル’地域一帯に海軍飛行場を建設し1937年日中戦争の時、渡洋爆撃基地として活用し、1944年10月まで二回の拡張工事を實施した。1945年解放直前まで日本軍はここに格納庫、誘導路、高射砲、爆弾庫、送受信所、飛行隊指揮所、宿所、附帯施設などの軍事施設を完成させたり、また建設中でもあった。
 現在‘アルトル’地域に残っている格納庫は1943年11月、12月の二ヶ月間に作られたものである。
 元来完成されたものは20棟だが、現在そのまま残っているのは19棟である。
 現存する格納庫の規模は幅20m、高さ4m、長さ10.5mである。
 アルトル飛行場に分布する格納庫は済州道内の日本軍軍事遺跡の中でよく保存され元型がそのまま残っている。
 (内容は原文そのまま 漢字は一部略字)

さらにこんな説明碑もあった。

説明碑
ここは、太平洋戦争当時、済州島民の強制動員によって造られた島内最大の弾薬庫であったが、戦争が終わると米軍により爆破され陥没した跡地である。

 その後、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると内務部の治安局は、日本植民地統治下で我が民族を抑圧していた旧予備検束法を悪用して要注意人物や不審分子を逮捕・拘束し、拘禁者を処刑するようにと各警察局に指示を送った。
 これに従い、慕瑟浦(モスルポ)警察署管内でも344人を予備検束し、監視していた。そして、慕瑟浦駐屯の政府軍は同年7月16日頃に20人、8月20日に193人など、210人以上を法的手続きもなしに集団虐殺・埋葬し、遺族に遺体を引き渡さずに民間人の出入りを統制していたが、1956年の春にようやく遺骸発掘が許された、すざましい歴史の現場である。
 (内容は原文そのまま 漢字は一部略字)

午前10時25分に出発し、今度は陣地洞窟に向かう。途中道路脇で、ゴマを干している光景がみられた。
10時40分に到着し、バスを降りて海岸沿いを歩く。
この陣地洞窟は、日本海軍が洞窟を掘り、特攻兵器(人間魚雷「回天」など)の格納庫として使用しようとしていたものであったが、終戦を迎え実際には使用されなかったそうである。

陣地洞窟 人間魚雷「回天」
←陣地洞窟

ロケ地はこっちだよ〜
そしてまた、この洞窟はドラマ「チャングムの誓い」の最終回が撮影された場所でもある。みんなで洞窟で写真を撮ったが、実際にロケに使われたのは5つめの洞窟であるとわかり、あわてて場所を移動して記念撮影。

                            ロケ地はこっちだよ!→


兄弟島

海の方を見ると、2つ並んだ島が見えたが、これは兄弟島という無人島だそうだ。潮が満ちている時は、2つの島の間を水が覆い離れているように見えるが、引き潮の時は、2つの島をつないでいる陸地の部分が現れるそうだ。

兄弟島


バスに戻り、午前11時15分に出発し、次の目的地“健康と性の博物館”に11時30分に到着する。

真面目に性について取り組んだ内容だった。世界各国の春画が展示されていたが、日本の浮世絵春画は、他の国の絵と比べてひきつけられるものがあった。

午後0時20分に出発し、昼食を食べる「DAEYOO HUNTING&SHOOTING CLUB」へ到着。ここは射撃場であるが、食事もできる。
DAEYOO HUNTING$SHOOTING CLUB
DAEYOO HUNTING$SHOOTING CLUB
きじしゃぶしゃぶ
きじしゃぶしゃぶ
雑炊
雑炊
きじしゃぶしゃぶは、あっさりしていて、くせも無く美味しかった。(日本できじの生肉を食べたことがあったが、その時はちょっと苦労しました。)
しゃぶしゃぶを食べた後は、ごはん・卵・海苔を入れて雑炊にしたが、これも美味しかった!

午後1時55分 食事を終えて、2時5分 ロッテホテルに到着する。ここの免税店で、お土産を買いました。そして今度は、ホテル内のカジノへ移動。(ここではコーヒーが無料で飲める)
「オールイン(ALL IN)」の撮影にも使われたそうで、みんなで写真をパチリ。

その後ロッテホテル内を散策。

五福泉ロッテホテルを出発し、天帝淵瀑布に向かう。
滝の手前に五福泉という噴水があった。真ん中に福袋があり、回りを豚(金持ちになる)・鯉(子どもの幸せ)・亀(健康と長生き)・龍(出世)・おしどり(夫婦円満)の顔がある。叶えたい事柄に該当する動物の前から真ん中の福袋にコインを投げて、入れば願いが叶うそうだ。
豚の前でコインを投げたが・・・見事に外れました。う〜ん。

五福泉



豚
鯉
亀
龍
おしどり
おしどり

天帝淵瀑布は、ここで天女が水浴びした滝だそうだ。そして滝にかかる橋・仙臨橋のあちこちに天女の彫刻が彫られている。 天帝淵瀑布
天帝淵瀑布

午後4時10分出発して、4時50分お土産屋さん「名品済州店」に到着する。

キムチの試食 ここではキムチの試食や、お茶の試飲などができ、いろいろつまんでみた。
みなさん、いろいろお土産を買い、午後5時30分に出発して、済州国際空港へ向かう。

キムチの試食

済州国際空港で、張さんに出国手続きをしてもらい、お別れの挨拶。とっても素晴らしいガイドさんでした。

午後7時発の大韓航空KE755で中部国際空港へ!

今回の旅行では、韓国のまだまだ知らなかった部分を知ることができました。また韓国へ行ってみたくなった旅行でした。


 本日のコース
チェジュ ニュークラウンホテル---郷味食堂---消えた村---旧日本軍飛行機格納庫跡---陣地洞窟---健康と性の博物館---DAEYOO HUNTING&SHOOTING CLUB---ロッテホテル---天帝淵瀑布---名品済州店---済州国際空港---中部国際空港
   
                          

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